躁とうつとそれ以外
この前、看護師の友人とお茶しました。
私は、彼女が、愚痴を吐きたいが為だけに、私を呼んで(くれて)る、と思っていたんだけど、違ったみたい。
彼女は、1型のお父さんがいて、もうお亡くなりになったけれども、それでも働きながら一家を支え続けていて、
そのお父さんと比べて、はるかに「普通」な私が、仕事もしないでボーッと生きてる(ように見えるらしい、間違いではないが)のはどうしてか、と心配していたらしい。
私の体調や気分には、
「躁かうつか」
しかなくて、
それにずーっと振り回されていた。
他にも、
「健康か病気か」
とか、
「調子が(すごく)良いか、(すごく)悪いか」とか、
そういう感覚しかなかった。
グレーゾーン、って言うの?そういう感覚や実感が全くなかったのです。
「普通」が何だか分からない。
変でしょ?
でも、体調も、気分も、生き方も、普通ってよく分からないんです。
勤め人に向かないなーという自覚はありますが、それが、具合悪いからなのか、性格なのか、躁うつだからなのか、それは分かりません。
心理テスト(ネットの無料のやつ)もいくつかやりましたが、
調子がいいとき(躁?)と悪いとき(うつ?)では結果が違ってくるし、
明確に「これが正常(範囲)の私」っていうのがなかったんですよね。
病人を20年もやってると、勤めは無理じゃないかなーと思います。
嘘つくの下手なもんで、本当のこと言っちゃうだろうし、
もし私が経営者なら、
「こいつちゃんと仕事出来るのかな?」
って「必ず」「一瞬は」考えると思うんですよね。
まず会社に着くのが無理じゃないかと。
↑強く思う。
で、家で出来る仕事が出来るのか、って言ったら、そう簡単には行かず、
自分を律する力
経済的に自立するぞという意気込み
家にいても仕事が出来る(やる)気力、体力、精神力
家で仕事をする為の環境、知識
などなど、ある程度「普通」に仕事が出来るけど、会社行きたくないからウチでやってます、的な能力は必要なんじゃないかと。
彼女とお茶してから、数日経っていますが、相変わらず私は、体調や気分に振り回されています。
でも、文章を書く仕事が出来たらいいなー、ぐらい思い始めました。
出来れば、躁うつの体験談的な。
でも、2型でも、先生が「手帳は要らないでしょう」と言われた私に、何が書けるのか?
分からない、分かりません。
私はいろんな意味で恵まれていると思います。
「私ってこんなに恵まれてるのよ、すごいでしょ」
な本になってしまいそうな気がします。
何か長々とぶつぶつ言ってしまい、すみませんでしたm(__)m
分かってもらえなくてもいいんですょ。
こういうこと思うのもいるんだなー、ぐらいに思って頂けたら幸いです。
それでは皆様ご自愛ください。
今日は、自分の両肩を抱きしめて、優しく、
「おまえもな」
と言ってあげてください(強要はしません)。
ではまた。
七七七(ななみ)でした。